2018.03.22 交流会(第16回)開催しました。
「性・ジェンダー・セクシュアリティを対話する交流会(第16回)」、 「パートナーシップ」をテーマに開催しました。
今回もさまざまな方がご参加くださったなか、パートナーシップ制度、戸籍上異性としての婚姻、家族とのコミュニケーション、友人関係、カミングアウト、アウティング、身体感覚や処世術など、いろいろなトピックが出てくるなか、和やかな場がつくられていたように感じました。
(参加者の皆様の了承を得た上で、話し合われた内容を抜粋し、プライバシー保護のため一部改変して掲載します。)
・中学の頃まで、女の子を好きになることは自然なことで、変なことだと思わなかった。学生時代に男性が業務マネジメント、女性は酔った人の介抱といった仕事を割り当てられ、周りの人たちが自然にそれらの役割を受け入れているのを見た時に、初めて自分の性別に違和感を感じた。
・自分のセクシュアリティが少数派だと気付いてから、自分や人の性別を強く意識するようになるといった「気負い」が生じた一方、同性婚が認められていないことや、国会議員に女性の数が少ないことなどにも敏感になった。
・結婚、パートナーシップの構築について:何年も経つと、徐々に当初の恋愛感情といったものは減り、パートナーや仲間というような存在になると感じる。異性愛の人も、最初から最後までずっと恋愛感情を感じ続けている人は少ないのではないか。 最初から、誰に対しても恋愛感情をもたない人であっても、「人間として好き」という気持ちを感じられていれば、パートナーシップを続けられる。 ・夫婦別姓の話題から:パートナーとの同姓・別姓、海外での婚姻制度、事実婚の証明、PACSなどについて。
・海外にいけば結婚制度はあるが、生まれ育った日本で結婚したい。そう思うのは当然のことだと思う。
・音楽のジャンルによっては男性がスカートを履くこともある。自分は男でも女でもないが、服装にこだわらないため、ジェンダー表現への違和感はそんなに感じたことがない。 ただ、音楽などのアートにみられる「ゆるやかな性表現」といったものを知らなければ、「男性か女性の2つに分けられている」という感覚を覚えてしまい、もしかしたら違和感を覚えたかもしれないとは思う。
・周囲の恋愛観・結婚観・嫁姑関係などから「自分もこうしなければ」と思い、「立場」「役割」で自分の行動をがんじがらめにしてしまうよりは、目の前にいる人と、一人の人間としてむきあうという方が、お互いに心地よくいられる。自分の気持ちのままに生きていいと思っている。
・相手が、自分の想像する人と違っていた、と感じた場合に人がとる行動には、いくつかのパターンが見られるように感じる。
・カミングアウトしても大丈夫な人と、そうでない人に対する直観は大切にした方がいい。 たとえば「みんながこうしているから自分もこうする」というように、典型的なものだけを信じて自分の心を感じられていない人には、カミングアウトしづらいと感じる。逆に、自分と向き合い、自分の心を大切にしている人には、話してみても大丈夫かなと思える。
・身体に病気や障害などをもつ人と、性別違和を抱える人とで、悩みそのものの「次元」を少し上にあげた状態で会話をすることで、「お互いに、自分にしかわからない感覚の障害をもっていて大変だね」という話をしたことがある。 固定的な属性やカテゴリを超えたところで、「悩みやしんどさ」を共有しあえる可能性があるという点では、性的マイノリティかどうかに関わらず、「だれもが、どこかで共通する部分」もあり、対話やコミュニケーションのきっかけになることがある、ということも感じる。
・自分がカミングアウトすると、周りの人も自分のことを話してくれたという体験をした。
・芸能人のカミングアウトを見ても、何かの属性をカミングアウトすると、それがまるでその人の全体であるかのようにその属性だけが独り歩きしてしまっていることを特に日本では違和感として感じている。
・カミングアウトされる側の人の心にまだ余裕がない場合、自分の背景や価値観と異なる人が目の前に現れた瞬間、本人の動揺から、怒りや怯えといった感情が生まれ、排除や暴力に繋がってしまったり、1人で情報を処理しきれずアウティングなどの行為に繋がってしまったりしていると感じる。 また、逆のパターンで「どう接したら相手を傷つけないか」といった気遣いで自分を追い詰め、疲れてしまうこともあると思う。 相手がどれだけ自分の内面と向き合っているか、伝えた時に動揺してしまわないかどうか、という部分にも着目し、「誰にでも」ではなく、相手を見極めながら伝えることもお互いのために重要だと感じる。
・性的マイノリティ、外国人、など、「一つの属性」で分断されたコミュニティの中では、自分の中にある他のマイノリティ性については話せないといった文化を感じる。それが息苦しい。 方向性としては2つの可能性がある。
1つには、「〇〇で、かつ〇〇」といったより細分化されたコミュニティがあること。
2つ目は、属性に捉われずに素の自分で居られる場所の存在。両方必要ではないかと感じる。
・頭と心で考えすぎず、1つの物事に集中・執着しすぎず、自分の身体の声に敏感になること、身体全体で自分や相手の存在を感じることは、自分を大切にしながら生きるうえで大切。
・暴力を回避する方法としての、身体の所作、使い方。存在のしかた。
今回たくさんの情報、色々な価値観、感じ方や考え方が出るなかで、「Xジェンダー」や「トランスジェンダー」といった特定の属性を超えたところで、色々な人の声や言葉がやわらかく共鳴するような場になっていたように思います。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
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